ドクターキリコと本間先生
パラリンピックが終わりましたね。パラリンピックに安楽死許可証を取得した選手が参加しているという報道を見ました。安楽死許可証を得て安心したという旨のことを話されていて考えさせられました。
安楽死というと、子供の時に読んだブラックジャックのドクターキリコを思い出します。子供心に、安楽死というものも否定できないなと思ったことを覚えています。自分が喘息発作の時に心が折れて生きていることを諦めたことがあるからかもしれません。思い切り息を吸っても空気が入ってこないと、もう息するの辞めた方が楽だと思ってしまったことがあります。息をするのを辞めたら眠れると思うと、それほど怖い感じはしませんでした。そこまで安易に安楽死を選ぶことは非常識でしょうが、医師になって様々な症例を診てきて安楽死許可証というものも必要だと思います。そこには厳格な規定が必要でしょうが。
ブラックジャックというと、やはり本間先生の亡くなる時の話も考えさせられます。「人間が人間の命をどうこうしようなんて、おこがましいとは思わんかね?」というセリフは、まさに現在の終末期のあり方や医療の方向性を見据えて語られているとしか思えません。人が亡くなるということは自然の一部であり、絶対に避けなければならない忌まわしいことではありません。生と死とをどう折り合いをつけるか。
人の死のあり方をどうするのか。日本はこれまで通りの決めない文化でダラダラと行くのでしょうか。