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2016年9月23日 (金)

ドクターキリコと本間先生

 パラリンピックが終わりましたね。パラリンピックに安楽死許可証を取得した選手が参加しているという報道を見ました。安楽死許可証を得て安心したという旨のことを話されていて考えさせられました。
 安楽死というと、子供の時に読んだブラックジャックのドクターキリコを思い出します。子供心に、安楽死というものも否定できないなと思ったことを覚えています。自分が喘息発作の時に心が折れて生きていることを諦めたことがあるからかもしれません。思い切り息を吸っても空気が入ってこないと、もう息するの辞めた方が楽だと思ってしまったことがあります。息をするのを辞めたら眠れると思うと、それほど怖い感じはしませんでした。そこまで安易に安楽死を選ぶことは非常識でしょうが、医師になって様々な症例を診てきて安楽死許可証というものも必要だと思います。そこには厳格な規定が必要でしょうが。
 ブラックジャックというと、やはり本間先生の亡くなる時の話も考えさせられます。「人間が人間の命をどうこうしようなんて、おこがましいとは思わんかね?」というセリフは、まさに現在の終末期のあり方や医療の方向性を見据えて語られているとしか思えません。人が亡くなるということは自然の一部であり、絶対に避けなければならない忌まわしいことではありません。生と死とをどう折り合いをつけるか。
 人の死のあり方をどうするのか。日本はこれまで通りの決めない文化でダラダラと行くのでしょうか。

手が荒れる原因

手が荒れて治りません・・・・
いかに多い訴えでしょうか。毎日手があれて困っている方が後を絶ちません。
最近では幼児、小児にも多いのです。
なぜでしょうか・・・
それは、ほとんど洗剤成分による手荒れです。いいきってもいいくらいだと私は思っています。
世の中にあふれるある種、異常なまでの殺菌消毒の励行によるものだと私は思っています。
毎日流水で洗えばほとんど落ちるものを、殺菌消毒の効果のある石鹸で洗う必要があるのでしょうか。
健康な家族がすんでいる家で、健康な自分がトイレをした後に殺菌消毒はいるでしょうか・・。
流水で十分に洗うことでほとんど問題ないと考えます。
外から帰ってきたときはどうでしょうか。
基本的には流水でかまわないと考えます。お湯で洗うのと、流水+石鹸とはほとんど差がないといわれています。インフルエンザがはやっている時期の予防なら、水うがいと流水手洗いで十分だと考えます。手の荒れている方が荒れる原因の石鹸を使うことは逆に菌を手につけやすくなります。
少なくとも、荒れている方はなおさら使ってはいけないと考えます。
手には常在菌叢があり、それにより守られている場合もあります。
落としすぎることで変な病原菌がつきやすくなることも考えられます。
どうしても使いたいときは無添加の石鹸を最小限に使ってもらいます。
当然、食器洗い、風呂洗いなどの洗剤は厳禁です。一度でも使おうものなら、全く手湿疹は治りません。
シャンプーもしかりです。お湯であらうか、手袋をしてほしいぐらいです。
もしくは低刺激といわれているシャンプーを使うかです。
また、手は荒れっぱなしだと、逆のリスクをあげます。アレルギーです。
最近では皮膚からアレルギーを獲得するといわれています。荒れた手でいろんな食材や物質をさわるのはアレルギーの確率をあげるのではないでしょうか。
手が荒れることは危険なことだと私は思います。

2016年9月15日 (木)

けむしの季節

最近雨つづきかと思えば、かーっと暑くなる日もありましたね。
今年は毛虫、多いようです。
何人か体にぶつぶつができて、非常にかゆいといって困って来院されています。
庭仕事をして、木を抱えたとか、毛虫がいたとか、原因をある程度予測していらっしゃる方もいますが、まったくわからず、急に体にかゆいぶつぶつができて、ねむれないほどかゆいといっていらっしゃる方もいます。
前にもなんども掻きましたが、毛虫の毛は飛びやすく、しかも細かく普通の服は基本的に通してしまいます。
庭仕事をした覚えがなくても、植込みに入ったり、うっそうと木の茂った近くを通っただけでやられてしまいます。
葉の裏につらなって1カ所にいるため見つかりにくいことも多いのです。
ただ、パンツの吐いている場所だけはズボンやスカート+パンツと二重のためかやられません。
これが特徴といってもいいかもしれません。
非常にかゆくてこまるようなら市販薬で治そうとすると難しく、来院されるといいと思います。

2016年9月11日 (日)

今年のパラリンピックに思う

 パラリンピックが行われていますね。相模原での事件の後でもあり、様々な思いで見ている方も少なくないかもしれません。
 ところで一般の市民ではどのくらいの方が実際に障害者とスキンシップを持ったり接したりしたことがあるのでしょうか。医師として働いていれば自然と障害者と接するものですが、自分の医師としての経験としてやはり障害者のための病院に勤務した経験は非常に重要な要素になっています。身体の欠損から麻痺から脳障害から焼身後の方などなど。救急病院を退院しリハビリをし、専用の装具や車椅子を作成し、自宅を改造して自宅退院するまでを様々な職種の方に教わりながら研修したことは今でも大変貴重な経験になっています。
 そもそも障害者という言葉からして良くないのではないかと思う事があります。害という漢字が入っているのは変えた方がよいのではないかとも思います。手足の一部が欠損していても、麻痺があったとしても、普通に接しているとその人の個性とも思うようになります。精神的に何かあったとしても、最も問題なのは健常者と言われている人間の一部に存在する極端な思想に暴走する精神なのではないかと思います。
 これまで、政策として世の何事も縦割りにしてきたことをそろそろ考え直すことはできないのかとも思います。障害があると特別な学校へ通学し、そのまま作業所に行ったりして健常者とは触れ合わないままずっと過ごしていくことも少なくないように思います。
 子供の時、祖母の家は東京の下町の長屋のような所だったのですが、近所の知的障害のある女性が時々祖母の家で過ごしていました。祖母曰く、「放っておけないのよ」と。ごく普通に近所付き合いの中でみんなで見守り、援助をしていました。
 健常者も障害者も子供も高齢者も共に過ごすことが普通になっていくことが理想的なのかもしれません。富山型デイサービスというのがそれに近いのかもしれないなと思い注目しています。本当は医療機関や介護施設こそが障害者の就職先にならないといけないなとも思います。これからどのように関わっていけるのか。
 パラリンピックを見ながら色々なことを考えています。

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