明るい未来が末恐ろしい
久しぶりに日本整形外科学会学術集会に現地参加してきました。やはりライブで講演会を拝聴して質疑のやりとりを生で見るのは大切ですね。いろいろ勉強になりました。
私の世代が運良く高齢化できたとしてあと20~30年後には医療も科学技術も進歩して明るい老後が待っているような期待が高まりました。様々な疾患が薬の投与や人工関節などの手術などによって現在よりさらに治る時代になっているかもしれません。歩けなくなってもロボットが買い物に連れて行ってくれたり身の回りの家事もロボットなどが自動的に行ってくれるようになっているかもしれません。
その一方で少し恐ろしく思えることもあります。本来生体は自分の体を自律的にコントロールしているものです。体温や血圧を一定に保つのもそうですし、体内の様々な物質の濃度は正確に一定範囲内に調整されていますし、免疫反応なども自然に獲得し様々な疾患に抵抗力を得ています。
それらをコントロールする仕組みは急速に明らかになってきており、どの細胞がどのようなサイトカインを出したり信号を送ったりしてどのように調整しているのかということが近い将来すべて解明されていくように思います。将来的には人為的にあらゆる体内環境を変化させることができるようになるでしょう。これが数十年後になるとどういうことになっているのでしょうか。本来生体として自律的にコントロールすべき代謝や免疫を修正するために体内に様々な生物学的製剤を含めた薬剤が投入され、体のアチコチが機械になったり修復されたりして、何か自然の中の生命体を離れて行ってしまうような気がします。様々な化学物質を定期的に注入し、部品をメインテナンスしないと機能しない人工物に近づいていくような。
決して現在の様々な治療や手術を否定的に見ている訳ではないのですが、すでに糖代謝や脂質代謝や尿酸のコントロールに対して薬剤が投与され、胃酸も人為的に減らされ血液の粘度も人為的にコントロールされている方は少なくありません。整形外科的には骨代謝も薬剤によってコントロールすることが進んでいます。生体反応のあらゆる部分を人為的に修正することがどこまで希望され許容され心理的にも財政的にも可能なのか。
医学の進歩に哲学や倫理が追いついていないように思います。稀に90歳過ぎて「今までは医者嫌いで検診も受診もほとんどしたことがない」という方が体調が悪いということで受診され、大病が発見され為す術も無く短期間で亡くなってしまうことがあります。そうすると何で今まで医療機関に掛からなかったのかという疑問が沸く一方で最も自然に生きた人生だったのかもしれないなと思うことがあります。
医学者は常に哲学者や倫理学者と一緒に仕事をしないといけないのかもしれませんね。